新盆会法要を勤めました

皆さま、こんにちは。

2022年7月10日(日)に、おかげさまで今年度の新盆会法要を無事に勤めることができました。

お参りくださった皆さま、どうもありがとうございました。


少し曇り気味のお天気から始まりましたが、終わるころには暑さがだいぶ増して、汗をかきながら参加された方もいらっしゃったかと思います。

皆さまとご一緒にお勤めをした後、グリーフについてお話をしました。


以前にもグリーフについて触れたことがありましたが、お身内を亡くされてからあまり時間が経過していない方にとっては、ちょうどグリーフ(大切な人、大切なこと、大切なものをなくしたあとに私たちに起こる感情や反応や、その移り変わり全体を意味しています)の最中におられたかもしれません。

話を聞きながら涙をハンカチで拭いておられる方もいらっしゃいました。

少しでもこの話を聞いて、皆さんの心が和らぐことを願っています。


お話しの後、休憩をはさんで語り合いの時間をもちました。

ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

今年初めての試みでしたが、以前から「安心して自分を語る場」を開きたいと思っていましたので、何とか開催できて良かったです。


なぜ語ることが大切かというと、自分で自分の今の立脚地が分かるからです。

自分をどのように表現するのがぴったりなのか、言葉を選びながら頭の中でいろいろと考えます。

自分の感じていることや考えていることを言葉にしてみると、この言葉ではぴったりではないなと感じたり、もっとふさわしい言葉に言い換えたり、本当に言いたいことが実は自分で思い描いていたことと違っていたり、そういうふうにして、言葉を使って自分が今どのような状態なのかを自覚することができるのです。


ただ、それが誰かに比較されたり、判断されたり、解釈されたりすることはありませんか?


私たちの普通の会話は、往々にして比較・判断・解釈されることが多くあります。

でも人間というものは喜怒哀楽があって、すべての感情が相手にそのまま受け止めてもらえるわけではありません。


人間関係の中で、自分のありのままを表現したいのに、相手の反応を気にすると、本当の自分を出せない場合があります。

そうすると本当の自分を隠して、相手に受け止めてもらえる自分だけを選んで表現しているわけです。

では、その隠している自分はどこで出すのでしょう?


私はお寺がその受け皿になれたらいいなと思っています。

それは人間の死に関することや、他の場所では語れない自分を、安心して語ることのできる場所がお寺だと思うからです。

人間に対する深い洞察が仏教の歴史ですし、どのような人に対しても開かれているのがお寺のいいところでもあります。


皆さんは、ちゃんと今を感じて、そして生きていますか?

社会の流れや、日々のやらなければいけないことに振り回されて、今こうして私が生きているということがどこかに追いやられていませんか?


今、自分が何を感じているのか、よく感覚を研ぎ澄ましてみましょう。

見えていなかった自分が見つかるかもしれません。


暑さが厳しい毎日ですが、どうぞ皆さまお体を大切に。

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