報恩講が勤まりました

皆さま、こんにちは。

2023年11月3日(文化の日)に、今年の報恩講を無事勤めることができました。

ご参拝いただきました皆さま、ありがとうございました。


天候に恵まれて、例年通り多くの方にお参りいただきました。

お斎を何とか復活させたかったのですが、準備が整わず、今回も見送ることになりました。

来年はゆっくりとお斎を楽しんでいただけるようにしていきたいと思っています。

配膳や片付けなどお手伝いいただける方は、ぜひお声がけください。




今回のお話は、前回の春彼岸の続きで正信偈(しょうしんげ)でした。

正信偈の中でも阿弥陀仏(あみだぶつ)のことが書かれている部分です。


阿弥陀仏のはたらきが「光」としていろいろな表現のしかたで語られます。

仏さまの「光」というのは、私たちが「闇」であるからこそのもの。

私たちが物事を明らかに見ることができて、ありのままに受け止めることができるなら、仏さまは仕事がなくなるわけです。

私たちが闇の中にあって、しかもそれを闇の中だと気付いてもいないほどの「無明」さのために、「光」が必要になるのです。


その阿弥陀仏が、一人の修行者(その名を法蔵、ほうぞうといいます)であった時に建てられたのが四十八願(しじゅうはちがん)と呼ばれる「願い」です。

その中に「私の名まえを称えてください」という願いがあります。

それを受けて「あなたが私の大事にしていることにうなずいて、10回、私の名まえを称えてくれるなら、あなたを必ず浄土に生まれさせます」と願いを建てられます。

さらに「あなたが必ず仏になるようにします」とも願いを建てます。

この3つの願いがあるおかげで、私たちは南無阿弥陀仏と称えれば、必ず浄土に生まれる(往生、おうじょう)ということと、仏になる(成仏、じょうぶつ)ということを手に入れることができるのです。


今回のお話では法然上人の著作から「浄土に生まれる条件」について書かれている部分も学びました。

もし仏像を建てたり、能力が高いことや、たくさん法話会に参加することを浄土に生まれる条件にしたならば、お金のない人や最後まで成し遂げられない人、法話会に足を運ぶご縁のなかった人は浄土に生まれることができない。

だから法蔵はそういったことを条件にしなかった。

唯一の条件は「南無阿弥陀仏」と称えることだった。


つまり、浄土に生まれるために「お経を称えなさい」とも言われていないのです。

阿弥陀仏の大事にしている四十八の願いによってできあがった「浄土」という国の話を聞いて、「それっていいですね」とうなずくのであれば、あとは10回、名まえを称えてくれるだけで、あなたを間違いなく浄土に導きます、と御経に書かれているのです。


簡単ですよね。

あとは四十八の願いの内容を、よくよく聞いて、それを信じて、法蔵の願いを自分自身の願いとして生きていくことが決まれば、あなたも真宗門徒(しんしゅうもんと)です。


そう聞くと、何だそんなことかと思いますか?

たった10回称えるだけで本当に生まれることができるのか?とか、ところで浄土ってどんなところなの?など、疑問がいろいろ出てくるかもしれませんね。


では、それはまた次回のお話で。

またのお参りをお待ちいたしております。

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