住職ということを縁として(ブログ)

久しぶりにブログを更新します。

あっという間に今年も終わりに近づいてきました。

昨年の12月には、書院の引っ越しを目前に控え、不安と憂鬱を感じていたのを思い出しました。


あれから1年。

書院の解体、墓地の塀改修工事、書院新築工事と毎日少しずつ進み、もう年内には鉄筋コンクリート造りの建物の上に鉄骨の屋根組ができあがるというところまでやってきました。


建築に関して素人だった私も、住職になるということをご縁として、どのような書院にしたらいいのかという課題のおかげで、建築のことを勉強することができました。


来年にはいよいよ屋根に瓦が葺かれて、書院らしい外観を見ることができる予定です。

内装をどうするか、お参りになる皆さんが使いやすい書院になるようにいろいろと検討しているところです。


私は連れ合いが外国人なので外国にかぶれていると思われることがありますが、実は逆で、日本の伝統文化の素晴らしさを高く評価しています。


外国の文化に触れると、では日本の文化とは何なのか?と比較しないではいられないからです。

お寺という場所は、そういう意味では日本の文化を代表する場所ですし、それを表現することのできる場所でもあります。


不思議なご縁で、折りしも書院の建て替えというタイミングに遭遇し、かつ住職になるというご縁も相まって、こうして思いや願いを形に表現できる立場に恵まれました。


一般住宅に比べて決めなければいけないことがたくさんあって大変ですが、後世に遺っていくものを建てることができるということは、何とも有難いことです。


念速寺は親鸞さんの念仏の教えを伝統する浄土真宗の寺院ですが、建築と同時に教えを相続(そうぞく)していくという役目も担っています。

住職はその寺を、念仏の教えに生きる念仏者(ねんぶつしゃ)を生み出す聞法(もんぽう)の道場として開いていく仕事が与えられています。


私自身だけの教えであれば、いくらでも机上の空論に終えてしまうことができますが、住職として念仏の教えを広めていくためには、それでは困るわけです。


共に念仏の教えをいただいて、生活の中で念仏に生きるということを実践していく御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)と一緒にお育てにあずかるということが大切だからです。


住職になるということをご縁として、「ともに」ということが私の課題になりました。

ともにということが課題になると、話の聞き方も変わるんですね。


自己満足で終わっていたものが、いかにしてわかってもらうかということに苦心するようになりました。


まだまだ勉強不足ではありますが、いつか皆さんに念速寺には大切な教えがあるなと感じていただけるように努力を積み重ねていきたいと思っています。


今年も皆さまお世話になりました。

また来年もどうぞよろしくお願いします。

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