写仏の会を開きました。

2021年9月5日(日)15時より、コロナ感染症対策をした上で、写仏の会を開きました。

ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。


今回は皆さんの進み具合に足並みをそろえようと思って、写仏を一回お休みして写経に取り組みました。

写経と言っても、これはお経ではないので、正確には”書写”になりますが、親鸞さんの書かれた『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中にある「正信偈(しょうしんげ)」です。

写経で有名なのは「般若心経(はんにゃしんきょう)」で、仏教の基本である空(くう)の思想が説かれている短い経典です。

文字の量がかなり違うので、般若心経は一回で終わるのに対して、正信偈は何度も取り組まないと終わりません。

今回も少し進みましたが、完成するまでにはまだしばらくかかりそうです。


実はこの正信偈の書写本は、東本願寺にご志納いただくと記念品として1冊進呈されるというふうになっていて、本として販売されているわけではないんです。(ややこしくてすみません)

全部書き終わって糸で留めると、和綴じ仕様になるので、書写になっていない他のページと合わせると、法要に参加する時に使うお勤めがひと通り載っている勤行本になる仕組みになっています。


でも勤行本として使う意図のない場合には、書写しない部分がちょっともったいないわけなんです。

そこで、現在正信偈を書写するためだけのものを独自に作成中です。

建築関係の作業もあるので、いつできあがるかちょっとわかりませんが、できあがるのをお楽しみに。


併せて般若心経も作成中です。浄土真宗は般若心経は使わないとおっしゃる方、その通りです。浄土真宗で般若心経を読経することはありません。ですが、空の思想は仏教の基本で、親鸞さんが20年修行を重ねた比叡山にも般若心経はあったでしょうし、多くの僧侶も学んでいたと思います。


物事を白か黒かはっきりさせないと気が済まない。

中途半端であっちにいったりこっちにいったりする自分や他人は許せない。

一度決めたらどんな状況になっても突き進む。

死んだら、病気になったらもう人生おしまい。

人と違うことは徹底的に排除したくなる。

間違ったことが大嫌い。


そういうことはありませんか?

善か悪か、正しいか間違いか、生か死か…。

そうやって何か二つのものを立てて、こだわり、離れられなくなることを「二項対立(にこうたいりつ)」に「執着(しゅうじゃく)」すると言います。

仏教では、まずこの執着によって苦しみが生まれると説き、執着から離れよといいます。


そしてさらに、すべてのものは空(くう)、実体がないと説いて、そもそも対立するものなど存在しないと言います。

経典をみると、空(そら)には東西などないのに、人は空(そら)を見て、こっちが東の空だといい、あちらが西の空だといって執着している、と書かれています。


同様に、何が善で、何が悪なのか、その人の行為そのものに善や悪などないのに、人はそれを善だとか悪だといって枠にあてはめようとする。

そうやって何か対立するものを作り上げ、対立の中に埋もれ、対立によって争い、地獄を生み出しているのは、誰なのか?


仏教徒は、この二項対立を超え、柔軟に生きることを目指します。

それが「空(くう)を覚(さと)る」ということです。


日本人と外国人、男と女、ワクチンを接種した人としない人、対立する二つの何かというものは、作れば作るほど誰かを排除します。

インターネットがこれほど普及した世の中なら、もう国境なんて何の意味もないんじゃないかと私は思ったりしますが、国籍や人種、性別のような「属性」というものが、本来は空(くう)であるということが世界に広がっていくといいなと思います。


次回以降は下記の通りです。

初めての方も、久しぶりの方も、ご連絡お待ちしております。

10月17日(日)、11月14日(日)、12月19日(日)、いずれも15時から17時の予定です。

瑞雲山 念速寺 Zuiunzan Nensokuji

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