ロシアのウクライナ侵攻に関する宗派声明について

皆さま、こんにちは。

本日は、大谷派が発表した声明についてのご報告です。

ロシアがウクライナに侵攻を始めてから、多くの避難民が国外に脱出していますが、現在も多くの民間人が砲撃の犠牲になっています。

国際社会が様々な手を使ってロシアに侵攻を止めるよう試みていますが、停戦協議がなかなか決着しません。

インターネットが普及して、国境や地理的な距離を超えて様々な国の人々と交流できるようになって久しい、この令和の時代に、言葉が通じないリーダーがいるということに憤りを感じます。

報道で伝えられる情報よりも現場の現実はさらにひどいのではないかと思います。

ウクライナ、ロシアという国に関係なく、命を落とされた方に、心から哀悼の意を表します。合掌。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。


まずは停戦、お互いに武器の使用を止めるということ、そして避難された方が自国に戻り、再び生活を始められるように支援をすること。

そのためにできることを私たちもしたいと思います。


真宗大谷派は、武器を使った侵略に反対という考えを宗派声明として発表しました。

親鸞さんが大切にしている経典、『仏説無量寿経』には「兵戈無用(ひょうがむよう)」という言葉があります。

「兵戈(ひょうが)用(もち)いることなし」と読みます。

親鸞さんが大切にした念仏の教えだけでなく、ひろく仏教は、私もあなたも尊いという平等の人間関係を目指しています。


特に念仏の教えは、何でも自分の思い通りにしようとする私たち自身の中にある問題性に気づいてほしいという阿弥陀仏の願いがあります。

仏教は、武器を必要としないだけでなく、お互いの違いを認めたうえで、ともに生きていくために何ができるかと一緒に考えていくあり方を教えてくれています。


「バラバラでいっしょ」

これは以前、8代目の本願寺の住職だった蓮如(れんにょ)さんのお誕生800年の記念法要の時に出されたテーマですが、私はこの言葉が好きで、よく使います。

私たちは一人ひとり違っていますが、人間という本質のところでは同じです。

時代や国、文化や性別などの違いはあっても、人間としてどのように生きるのかという点で、何も変わりません。

力(ちから)によって相手を弾圧したところで、本当に相手を抑え込むことはできないわけですが、対話によってお互いに歩み寄るということを知らないと、力をもってどうにかするしか方法がないわけです。

子どものケンカも中身は同じです。

先日、西東京市の男の子の子育てに関する講演会に参加したのですが、やっぱり今までの親は、男の子の育て方を間違えてしまったんだなと実感しました。

「男の子だったらやり返してこい」

そういって力で何かを伝えたり、力で相手をどうにかしようとすることを是認してきたわけです。


力の強い父親が「俺の言うことを聞いていれば間違いないんだ」といえば、力の強い人間には理不尽であっても従わなければならないということになってしまいます。

だから相手に言うことを聞かせたい時には、暴力をふるうか、大きな声で相手を威嚇して、押さえつけようとするわけです。


子どものケンカも、パワハラも、戦争も、言葉で対話ができないというところに端を発しています。


これからの私たちは、言葉によってともに生きていく道を選びたいとつくづく思うわけです。


ウクライナの皆さんに対する支援のため、募金を始めようと思います。

お寺にお参りの際は、ぜひご協力ください。

全日本仏教会を通して、支援をさせていただきます。


この世界から内紛も含めて、武器を使った戦争がなくなる日を切に願います。

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