本日は、真宗大谷派が開いている念仏の学校のご案内です。
京都のJR山科駅から15分ほど歩いたところに、山科別院(やましなべついん)というお寺があります。
もともとそのあたりには本願寺八代目住職だった蓮如さん(れんにょ 1415-1499)が亡くなられた山科本願寺がありましたが、焼き討ちにあい、その後十七代目住職の真如さん(しんにょ 1682-1744)が東本願寺の境内地にあった長福寺(ちょうふくじ)を移設・再興したのが山科別院長福寺です。
その隣に大谷専修学院(おおたにせんしゅうがくいん)という念仏の学校があります。
学院生の多くは、真宗寺院の後継者ということがありますが、真宗や仏教の教えに触れたくて、一念発起仕事を辞めてここへきたという方や、定年退職後に入学された年配の方や、高校を卒業後すぐに入学する方など、みなさん様々な背景をもって入学してきます。
私も卒業生ですが、携帯電話禁止、寮にお風呂がなかったので銭湯通い、荷物はカラーボックス1個程度だけ。世間にいながら世間から出たような寮生活を送りました。
私はもともと大学で寮にいたので集団生活には慣れていましたが、寮生の中には集団が苦手な人もいます。
初めはお互いに猫をかぶっていても、だんだんと本性が出てきて、けんかになったりトラブルが発生します。
すると机上の空論ではなくて、生活の中で目の前の人間関係をご縁として教えの言葉が見いだされてきます。
善人や悪人といった親鸞さんの言葉も、今の自分はどうなっているのか?という問いによって他人事(たにんごと)から自分事(じぶんごと)に変わっていくのです。
それは自分の都合のいいようにしか教えの言葉を聞いていない自分を、「そうではない」と声をかけてくれる仲間や先生がいることで、軌道修正されていく生活なのです。
「あんたに言われたくない」「お前はどうなんだ?」
学校に通っているのであれば、家に帰ることで逃げる場所がありますが、寮生活には逃げ場がありません。
お互いにいいところも悪いところも分かった上で、じゃあ教えの言葉の意味するところは、どんな生活をすることなのか?仲間や先生との生活を縁として、その生活の中で仏道を歩むことの厳しさや大切さを学びます。
最近は人間関係が希薄になっていて、ネットの普及もあって、生身の人間同士の面倒くささや温かさが忘れられているように感じますが、大谷専修学院では血の通った人間関係が大切にされています。
生きづらい
ひとりぼっち
人間がこわい
行き詰まっている
誰もわかってくれない
人生がむなしい
そんな思いを抱えている方、ぜひ学院のことを知ってください。
一人ではできないことも、仲間や先生と一緒ならできることがあります。
寮生活は1年です。
今までに味わったことのない1年を生きてみませんか?
学費を払うのが難しい場合は、奨学生として入学することもできます。
詳しい情報は学院のページまたは東本願寺のページからどうぞ。
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