報恩講が勤まりました。

2021年11月3日(文化の日)に本堂におきまして、コロナ感染症対策をした上で、本年度の報恩講(ほうおんこう)を無事に勤めることができました。

お参りくださった皆さま、お手伝いしてくださった皆さま、どうもありがとうございました。

例年、文化の日は晴れますが、今年はまた暖かくて気持ちのよい一日になりました。


当初はZoomを併用しての開催で計画していましたが、お申し込みがなかったので、ゆっくりとお話しをすることができました。


今回は「お勤めの歴史と勤め方」ということで、いつもご法事で勤めている勤行の歴史と、その勤め方について具体的な資料をご覧いただきながらお話をしました。


時間があれば皆さんと一緒に声を出したかったのですが、仏具の説明やご質問などもあって時間になってしまいました。


ご自宅にある「お内仏(ないぶつ)」に関することは皆さん気になるところですね。浄土真宗では、お仏壇のことをお内仏と言い習わしてきました。

それは「家の内にある仏さま」という意味で、仏さまを家の中心として大切にしているわけです。

現代人にとって家の中心はテレビでしょうか?携帯電話、パソコンでしょうか?


真宗では、「仏物(ぶつもつ)」という考え方があります。


私たちは自身のいのちを「自分のもの」、親や子どものいのちも「自分のもの」と思っているので、どうしようと自分の勝手だと考えています。

だから都合に合えば生かしてやるけれども、都合に合わなくなれば、殺してしまったり「死んでしまえ」とか「出ていけ」と言って、選んで嫌って見捨てるのです。


でもお内仏をいただく真宗門徒は、いのちはすべて「仏物」といただきます。


自身のいのちも、親や子どものいのちも、すべていのちあるものは仏さまからいただいた。だから仏さまのおこころにかなうように、尊んで、大切にしていこうと。

それがそのいのちを本当に生かしていくことになるし、縁ある人を生かしていくことになるのだと。


それはなぜかというと、いのちあるものをすべて選ばす嫌わず見捨てずに最後まで大切にしてくださるのは仏さましかいないからです。


人間は、縁がめぐってきてしまえば、どれだけ大切にしようと頭ではわかっていても、できなくなってしまうものを抱えています。


だからこそ、この自分自身を絶対化しない。

自分自身がいかなるものなのか、よくよく見定めなければならないし、教えが示している普遍的な人間の実相を聞いていく謙虚さを失ったら、私たち人間はいくらでも傲慢になります。


「仏物」としていただいた自身のいのちを、本当に生かしきっていくことが私たちにとっての喜びであり、本当の満足です。


今回のお内仏のお話しでは「仏物」のお話しはできませんでしたが、また今度機会がありましたが皆さんにお話ししたいと思います。


次回の年中行事は春のお彼岸です。

また日程や詳細が決まりましたらお知らせします。

瑞雲山 念速寺 Zuiunzan Nensokuji

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