エンディングノートを書いてみよう会 開催

皆さま、こんにちは。

だんだんと梅雨の時期に入ってきましたね。

さて、来たる7月20日(土)と8月17日(土)の15時から17時まで、念速寺の書院で「エンディングノートを書いてみよう会」を開催します


書いてみたいと思っていたけれど、きっかけがなかった方


一人で書くのは嫌だけど、誰かと一緒にだったら書いてみたい方


ぜひこの機会にご参加ください。

もうすでに自分のノートを持っている方はご持参ください。

まだ持ってない方は、これから買っていただいてもいいですし、当方にもいくつかありますので、当日に買っていただくこともできます。


自分の「死」を見つめることで、今を「生きる」ということが見えてくる。

いつ、どこでやってくるかわからない「死」ということを、ノートを書くことで感じてみませんか?

仏教では、人間は生まれると、必ず老いて病んで死んでいくと説きます。

普段、私たちは老病死を見ないようにしています。

葬儀は自宅からセレモニーホールに移り、老人ホームや病院で最期を迎える人が増え、生活の場から「死」が見えなくなりました。


それによって、元気に老いてコロッと死ぬことを望む人が増えました。

そうすると、元気で若いことが「善」で、老いて病んで死んでいくことが「悪」という意識が強くなります。


科学技術の向上は、老病死ですらも、自分たちでコントロールできるものであるという有能感をもたらし、いつか必ずやってくるものまで排除して、「老いと病の無い人生」を追い求める人が増えているのではないでしょうか。


では、「健康で若い」ということによって、人生の満足を手に入れることができるのでしょうか?

健康も若いということも、ご縁がくれば失われます。

健康で若いことが人生の目的になってしまえば、それを失った途端、絶望になってしまいます。

老いた病気の私は役に立たない、生きていても仕方がない、早く死んでしまいたいと。


そういうと、次は「老いることも意味がある」とか、「病がある人のほうが人生が深みを増す」とか、老いと病を「善」に仕立て上げようという心がわいてきます。


結局私たちは、善か悪かという二項対立の中で生きているのです。


正しいか間違いか、日本人か外国人か、男か女か…そうやって二項対立を自ら作り出して苦しんでいるのが、私たちです。


「死」を含めた自分の本当の姿をきちんと見つめることで、今、自分にとって本当に大切なことが何なのかに気づく、そのきっかけとして、ご一緒にノートを書いてみましょう。


参加費無料です。

御布施は承ります。

門徒さんでなくても、どなたでもどうぞ。

お友達を誘って来てください。

コーヒーや紅茶など飲みながら、ゆったりと人生を見つめてみましょう。


申込みは、電話、FAX、メール、LINEのメッセージのいずれかから。

エンディングノートを書いてみよう会への参加希望であること、参加日、氏名、連絡先、ノートの有無をお知らせください。

皆さまのご参加をお待ちいたしております。


電話 03-3811-6625

FAX 03-3811-6698

メール welcometonensokuji@rainbow.plala.or.jp

LINE 緑のボタンから、公式アカウントにお友達登録してください。

瑞雲山 念速寺 Zuiunzan Nensokuji

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