2021年4月11日(日)15時から本堂にて、同朋の会を開きました。
前回に引き続き、三明先生の本を読んでいきました。
本の主題は歎異抄(たんにしょう)ですが、今回の部分は『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』の言葉がよく引用されていました。輪読後、「成仏(じょうぶつ)」ということについて語り合いました。
親鸞さんは、私たち人間は生きているうちに仏になることはできないが、仏を信じる心が生まれれば、今、仏になることが決まると言います。
私たちは煩悩で満ち満ちた凡夫(ぼんぶ)で、煩悩を滅しなければ仏になることはできません。
煩悩を滅するためには、戒律を保ち、八正道(はっしょうどう)を実践し、すべての修行を完成させなければなりませんが、その修行を重ねることも容易ではありません。
出家の仏教徒でも完成しがたい修行を、在家の仏教徒が実践するのはなおさら難しいわけです。
ではその修行を完成しがたい私たち凡夫は地獄に落ちるのを待つしかないのか?というとそうではありません。
仏を信じて、その名(な)を称(とな)えてくれれば浄土で仏になることができると『大無量寿経』に説かれています。
ですから、「仏の名前を声に出して称える」ということが、私たちにとっての「実践」になるわけです。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えることで仏になることができるというわけなので、煩悩を滅するべく厳しい修行を重ねるのと比べると、とてもやさしいです。
そんなことぐらいで仏になれるなんておかしい、と思われるかもしれませんが、修行を重ねることができる方は、どうぞ重ねてください。
修行を重ねたいと思っている方を引き止めるわけではないのです。修行を重ねたくても、残念ながらできない人に手をさしのべているのが阿弥陀仏なのです。
親鸞さんの説く浄土真宗の教えは、仏になる教えです。
岩波文庫の仏教書で有名な中村元(はじめ)先生はそれを「人間として成熟する」と表現されていました。
仏になるということは、どこか手の届かない遠くにあるのではなく、目指すことのできる人生の大事な指針ではないでしょうか。
次回は6月6日(日)15時からです。次に輪読する本を決めますので、ぜひご参加ください。
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